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教育(education)

知識・知恵

こんばんは、HOLSです

今日は俺にしては珍しく「教育」について書きたいと思います

かくいう俺も一応2児の父親なんよね

まだ父親3年目のよちよち歩きやけど

ただ、今だからこそ理解できることもあると思うので、それになりにそれっぽくなるように頑張ってみるかっ

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教育の定義 Definition

教育とは

教えて知能をつけること。人の心身両面にわたって、またある技能について、その才能を伸ばすために教えること。

と定義されている

なるほど・・・・

ここで、知能という言葉がでてきましたが、では「知能」「知識」「知恵」「知性」

の違いとは何か気になってしまったので列挙してみます

知能とは

物事を理解したり判断したりする力。

知識とは

知ること。認識・理解すること。また、ある事柄などについて、知っている内容。

知恵とは 

物事の道理を判断し処理していく心の働き。物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力

知性とは

物事を知り、考え、判断する能力。人間の、知的作用を営む能力

と定義されているようだ

なるほど、違いが微妙で難しい笑

ただ、

知識が「物事を知ること」に対し

知恵、知能、知性とは「物事を理解し、判断すること」

とカテゴライズできそうな気がするね

つまり、教育の定義とは

「物事を理解させ、判断できるようにすること・なること」

と言える

この認識は正しいと思う

  

例えばITなんかでいうと、PCのハードディスクにデータを保存したりそれを出力することは今まで可能だった(つまり知識)

それがここ近年でAIが誕生したことにより、その知識をもとに、自ら思考させ、画像や音声の解析をしだしたわけです(つまり知能)

まさに人工知能という言葉は、なるほどぴったり合っているわけ

人間はついに機械を教育するまでに技術を進歩させたということですね

 

んじゃ、教育の定義についてはだいたい理解できたので、次は教育の種類について考えてみたいと思いまーーす

教育の種類 Type

種類といっても、これはまぁ難しい話ではあるよね

どっからが教育でどこからが教育じゃないかなんて主観じゃないかしら?

それに何をもといカテゴライズすればいいのか

教育対象なのか、科目なのか、時期なのか 

でもまぁ、話がすすまんのでとりあえず分けてみようか

  

1 生後教育(だいたい3歳ぐらいまで?)

この名称が正しいかも定かではないか、とりあえずこの名前にしてみた笑

うちの上の子も今だいたい3歳ぐらいなんですが、まぁそりゃ本当に成長スピードに驚かされますよね

いつの間にか高い所にある物をとれるようになったり、話し方を覚えたり、最近なんか怒られたときの言い訳なんかも言えるようになってきて、見ているこちらが教育されてるような気さえする笑 

子供は家庭を基礎に喜怒哀楽といった感情のコントロールや社交性を身につけ、世の中に出ていくわけですから、人格形成やアイデンティティに最も大きな影響を及ぼす場所・時期というのは過言ではない

日本のコトワザや迷信って結構 生涯通用する言葉多いよなって思うけど

「三つ子の魂百までも」なんかまさに真理を説いている

最近ではそれも脳科学的知見から解明されつつあるけど、昔の人は感覚的にわかってたんやろうね

もしかしたら3歳までの教育で親の役目の大半は終了するんかも笑

まぁなんせ「家庭」というのは、社会コミュニティの最小単位で、生涯教育の中で最も重要な期間であることは間違いないと思う

 

2 青年教育(3歳~18歳ぐらいまで?)

幅広すぎた?笑

くどいけど、名称はあってるかしらんよ(教育のプロじゃないので)

いやいや、幼年期とか、少年期とか、もっとあるでしょ

とおっしゃるのはわかるんですが

 

では逆に質問

 

あなたの記憶でこの間に劇的に変わったことはありました?

 

俺、たぶんですけどないんです

だいたい幼稚園ぐらいから今に至るまで、そりゃ忘れていることも多いだろうけど、自分的には自分の教育される枠組み、みたいなものはあまり変わってないことにこのブログ書きながら気づいた 

そういう意味でもブログって結構大事かも

というのも、だいたい3歳4歳ぐらいから、親とは別の教育者=外部環境(教育機関・友人・その他知り合い)が自分に関与してきて、そこから色々なことを学んだということは変わっていない

その対象が、年齢によって、先生なのか、友人なのか、彼女なのか、たまにいる変な奴なのか、ぐらいの違いなんすよね笑 

もちろんその中でいろいろな「経験」を通して学んだことは数えきれない

ただ、「対象」でカテゴライズすると、教育を受ける相手はそんなに変わってない

つまり、この期間は皆だいたい同じような対象から様々ことを学び、自分んなりにそれを昇華させていきながら成長していくわけです

 

3 成人教育(18歳ぐらい~死ぬまで)

俺も今ここに該当するわけで、この期間から友人や先生に加えて「社会」が教育対象になってくる

社会人としての常識や知識、仕事内容等、実際に自分が社会を構成する一員としての形を成していく時期

また、結婚や出産等、新たなコミュティを作る時期でもある

「性」や「生」や「死」についても自我が芽生える時期でもありますよね

そしてここで今までと変わってくるのが、今まで「学ぶ」という立ち位置だったのが「教える側」にもなるということ

また、「与えられていた側」から「与える側」、「生み出す側」に変わるということ

 

ですが、ここにきて多くの大人が思い悩むことになる

 

「あれ?おれ今まで何を学んできたんだっけ・・・」

 

そんな風にふと感じたことはありませんか?

教育という「錦の御旗」が抱える大きな問題点 

そこを掘り下げたい

教育の落とし穴 Pitfall

 

俺は高校を卒業した後、とある専門学校に入り、社会に出た

そのときから思っていたが、

 

あれ、一体おれは学校で何を学んできたんだろう 

 

ということ

  

そのあと社会に出て、その想いはさらに加速 

先生、いつ円周率使うんだよ

ってね

それなら名刺の交換方法とか投資知識とか税金の仕組みとか教えといてよ

とかね

でもそりゃそうなんですよね

だって学校の先生って、社会に出ずに教師になった人がほとんど

いや、先生は別に悪くないんですよ 

そうじゃなくて、学校で教わることが本来何であるべきか、が大事なんです

たしか教育の定義って

「物事を理解させ、判断できるようにすること・なること」

でしたよね

つまり「思考力」を高める、ということではないですか?

これって、義務教育を始め、多くの教育機関、いや、家庭でさえも行われていないことだと思うんです、というかそういう仕組みになっていない

 

そう、これは仕組みの問題

 

毎日同じ時間に通学し、皆が同じ授業を受け、同じ時間に帰る

休み時間も同じ

授業も、ひたすら単語を書いたり、暗記したりして、テストに備える

アインシュタインとエジソンの違いもわからぬまま、「テストに出るよ」の声に耳を傾け、ひたすら歴史上の人物を覚えさせられる

世界大戦がなぜ起きたかは知らず、ただ語呂合わせで時系列を暗記

テストが終われば忘れてもいいし、以後使うこともない

そして大人になって子供ができ、勉強を教える際に教科書を開き

「うわ~なつかしっ」とつぶやくわけ

いやマテ、俺らはなつかしむために勉強していたのか?笑

なんて思っちゃうわけです

そう、つまり、俺を含む多くの大人たちが、「学びの場」と言われる学校で培ったことは「思考力」ではなく、「務めること・義務を果たす」ということだけなんですね

まぁそっから「義務教育」って名前になったならわからんこともないがそれなら

いっそのこと「懲役」って呼んだほうがいいんじゃないかと思う(ゴメンナサイ)

 

 

そもそも、義務教育で習う英数国社理は、社会に出るとほとんど活用しない知識ばかり

というより、現代社会はテクノロジーの進歩もあって活用しなくても生きていける仕組みになっている

 

じゃあなぜそんな実用性のない勉強をする必要があるのか

 

それは、

「知らないことがわかるようになる」

「自分で答えを導き出せるようになる」 

「知的欲求を高める手掛かりにする」

ためじゃないでしょうか

しかし現在の教育体制はそうはなっていない

受動的に、強制的に勉強を強いる教育構造自体が、子供たちの知的欲求を奪ってしまっている

つまり、内容を詰め込んでとにかく覚えさせる「知識優先型の教育」

というのが日本の教育の正体だと俺は思うわけだ 

 

ニュートンがリンゴの実が落ちるさまを見て、重力の存在に辿り着いたことは有名な話

そしてそれはいずれ教科書に知識として掲載され

俺たちは幼少期からすでに重力という存在を知ることになる

しかし、その後、その大半は重力について考察しなくなる

重力といものがある、という知識だけあれば十分生きていけるからだ

そのため、俺らの脳はそこで探求心を失う

知能とは、一定の答えを導き出すためのプロセス

その結果得られた答えが「知識」であり、俺たちに別の知識を発見する近道を教えてくれる

だから、知識ももちろん重要だ

知識を得ることで、本来違う何かを探求するまでにかかるはずの時間を大幅に節約することができるから

ただ、現代教育は、あまりにも知識にシフトしすぎている

教科書をただただ読む時間があるなら、リンゴを持って森に散歩にでかけたほうが、多くの学びはあるのではないか

そんなふうに思ってしまうわけだ

歴史を教えない教育 History

 

いや、歴史学んだよ?っていうそこのあなた

もちろんそうです、おれも学びましたよ

でもね、俺が本当の意味で歴史を学んだのは社会人になって、自分で書籍を買ったり、自発的にインターネットを使って調べ始めてからなんです

 

それまでどうして世界大戦が起きて、EUが結成されて、冷戦が起きて、現在の米中貿易摩擦が起きているのとか、全然知らなかった

イギリスがEUを離脱することの重大性とか、全く興味もなかった

香港で反中デモが起こってても別にどうでもよかった

 

でも学んで震えた 「これはやばい」って

なにより、知らなかった俺、やべぇって思った

 

特に日本人は世界について何も知らなさすぎる、というのが率直なところで

自分の家族を含め、同僚や友人まで、本当に歴史に興味がないようだ

 

なぜ歴史を学ぶ必要があるのか

 

別に江戸幕府の歴代将軍を覚える必要はないんです

ただ、時代の節目節目に必ず大きな出来事が起きていて、それは現代社会にもつながっている

いわば歴史とは我々人類のルーツを理解することなんです

 

それをまず知らずして何を学ぶのか と思ってしまうわけよね

 

俺だってあまり歴史には興味なかったのが正直なところ

それは学校時代に、阿保ほど教科書を見せられ、暗記せねばならないという「強迫観念」がそうさせたんだと思います

先生だって被害者かもしれない

 

もしかしたらなんでヒトラーという独裁者が現れ、ユダヤ人が600万人も虐殺されたのか、そもそもユダヤ人とは誰なのかって教えたかったかもね

人類は幾度となく大量虐殺や戦争を引き起こしていて、それは政治がもたらしたケースもある、だから俺らは歴史から、「適当に政治をしてはいけない」ということを学ぶ。そうすれば、全く政治に興味がない子供も、少しは考えるようになるかもしれない

真剣に、どうやったら世の中がより良くなるのかを子供たちが考えるようになれるかもしれない 

 

でも教育委員会がそれを許さない 

 

そうやって俺らはあやふやな「知識」だけを義務的に作業的に覚えることだけを覚え、いつの間にか「考える」ということを忘れてしまったんです

 

そしてなぜか、式典で「君が代」を歌うことについてだけは論争が巻き起こる

巻き起こしている当の本人らも君が代が何を詠っているかも知らずに 

本当に悲しいことだと思いますね

金融知識を教えない教育 Finance

これは特に日本人の大きな負の特徴と言える

 

とにかく、学校はおろか、家庭においても社会においても、金融リテラシーが低い

とくに、投資知識に関しては著しく低い

これには原因がいくつかある

まず、日本は自国通貨である円のみが流通しており、そもそも外国為替市場にうとい民族であること

そして、日本人が大好きな「堅実」という言葉がそのまま経済にも反映されており、「貯金こそが正義」という妄想が根付いてしまったこと

 

知ってる人もいると思うけど、欧米では子供にお金を預けて、投資させることは割とスタンダード

日本人だと、遅ければ定年後に初めて株を買う人もいれば、一生無縁の人もいる

つまり、欧米の6歳に経験値でいきなり負けてるわけ 

日本人はまず「投資」と聞くと、「怖い」「怪しい」「楽して儲けようとしている」

といった、非常に愚かな先入観から入る人が多い 

特に今の団塊の世代は、「とにかく働け・貯めろ」時代を生きてきたからなおさら多い

このような負のスパイラルが日本人の金融リテラシーを下げている要因と言える

俺だってそう

子供のころから決められたお小遣いを「どうやって増やすか」ではなく「どうやって減らさないようにするか」ばっかり考えて生きてきた

そして結果 何も残らないものに消費・浪費をしてきたわけです

唯一家族に恨みを言うならば、何故金融について教えてくれなかった ってことすね

まぁうちの父ちゃん母ちゃんも全くといっていいほど金融知識ないからしゃないんだけどね

そんな俺もいずれ大人になり、それなりの給料を得るようにもなったが

社会人になってもまだその洗脳は解けず、必要経費以外はなるべく貯金するため0.001%という素晴らしく高金利な「銀行様」に100万円を預け、10年後に100円を頂こうとしていたわけですよ

すごいですよね、銀行様=お国様は俺が預けた100万円を好き勝手使ってくれて100円だけ俺にくれるってことです

んで俺らは「貯金たまってきたなぁ」と通帳を眺めて微笑むわけ

国が抱えた借金の肩代わりをさせられていることも知らずにね

んで、マイホームという殺し文句に見事殺されて、莫大な借金を抱えて、また地道に労働を重ねていくわけ

いや別にマイホームは否定しないよ

ただ、、、

いや、これはまた後日にします笑

 

とにかく俺が言いたいこと 

それは、せめて学校か学校が無理なら家庭で、子供に金融知識を教えないと、いつまでたっても日本人は国の食い物にされ、世界からどんどん離されていくよってこと

そしていつまでたっても「消費マインド」から脱却できないよってこと

 

どうやって教えるんだ

 

そりゃ実践に勝る教育はない

 

まず大人であるあなたが動くことが大事です

日経新聞を読むなり、四季報を買うなり、参考書を買うなり、証券口座を作るなり、とっかかりはなんでもいいから「始めること」です

 

俺は20万ほど払って6か月間オンラインで学んだ 

ほしかった服とかカバンとかをあきらめてね

んで今はすでに回収できた

この瞬間から俺は投資マインドに切り替わったってことです

ちなみに投資と投機を間違えないように

それはまた後日

いのちを教えない教育 Life

はい、これも「道徳」という立派な授業がありますよね

でもね、本を読むだけでいのちを理解できているとは到底俺は思えないわけなんすよ

 

弱きものを傷つけてはいけない・殺してはならない・生きとし生けるものを尊重せねばならない

 

もちろんそうです 

 

ただ、この概念は人類にとって非常に都合の良い正義だと思うわけ

 

俺らは毎日のように大量の牛や豚の肉や魚や米を消費している

だけど食べる瞬間にそのことを考えるようなことはない

食べる度に牛の悲鳴を想像してる人いますか?いないですよね

それもそのはず

俺たちの置かれている環境では、感じようとしても感じ取ることができない

スーパーやコンビニではすでに綺麗にパックされたお肉や商品が並んでいるだけ

人間の命が尊くはかないものであることは知識として学ぶが、実際に死の淵にいる人間を見ることも、人の命を奪った者と接する機会もない

すべてシミュレーションなわけです

アメリカの特番で、これはいい番組だなって思ったのが

中学生を刑務所に連れていき、殺人等の重犯罪を犯した囚人と対話させる番組

賛否両論あるでしょうが、俺は教室で学ぶ道徳の何倍もの価値があると思ったね

 

どれだけ綺麗ごとを並べても、人間が他の動植物を糧として生きている事実は曲げられないわけで、それを隠すことは必要ない

人が人を殺すことは歴史が証明しており、それを隠す必要もない

人は、特に子供は隠せば隠すほどに疑念を抱き、誤った認識をしてしまう

今人類が教授している平和とは、多くの犠牲の上で成り立っている非常に脆く危ういものであり、何より大事なことは「バランス」であることを教えるべきだと思うんですね

教えることだけではなく、いのちを感じられない現代社会においては、いのちの現場に触れ合う機会を能動的に作っていくことが必要ではないでしょうかね

 

体験に勝る教育はない

まぁ、、無理でしょうがね笑

まとめ

いや~疲れました

やはり教育というのは奥が深すぎて、ブログ初心者の俺にはちょっと無理でしたね 笑

とりとめのない内容になって申し訳ない

まぁいろいろ語りましたが

こんなこと考えだしたのもつい最近のこと

そういう意味で、俺は30歳を越えてから初めて自分で勉強できているような気がします

これからももっともっと知らないことを知りたいし、金融知識もつけて企業や国にすがらなくても生きていけるようになりたい

何より探求することを忘れたくない

その一心です

自分の子供にも色々伝えていけたらいいな、とも思う

これからの新時代、おそらく教育も今までとはガラっと変わるはず

その日を心待ちにするのではなく、自ら行動し何かを導き出せればいいなぁ

おわり

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