はいこんばんは、HOLSです
ブログ初心者からすると、あいさつは時間によってかえたほうがいいのかすらも悩むんすね笑
今は21時なので、こんばんはでいかせてもらいやす
はい、本題ですが、俺はけっこう映画も好きで、特に洋画はかなりの頻度で見てる
こんなことブログネタになるかどうかもわからんが、感受性豊かなおいらの感想でも聞いて、あ、見てみよかなって思ってもらえた光栄っす
今日ご紹介するのは「シンデレラマン」主演:ラッセルクロウ

2005年公開の映画なんではや15年もたってることにびっくり
つい最近見た感覚でした笑
すげー簡単に言うと、ボクサーのお話(実話)
時代背景は1920年~1930年 アメリカ
そうなんですよね、ピンとくる人はくると思うけど
第一次世界大戦と第二次世界大戦の狭間(ここでも狭間 笑)の
世界大恐慌が時代背景なんです
この時代背景だけでもおれは惹かれちゃうんすよね
だってアメリカの株価暴落をきっかけに世界に大不況が蔓延してそこから人類は
未曾有の人災 第二次世界大戦に入っていくことになるんですもん
まさに地獄の入り口だったんですよね
長々と説明するんは見る人も飽きるだろうし、なんせめんどくさいんでおすすめポイントだけ列挙していきますわ
それ見て興味惹かれた人は勝手に見ろ 笑
おすすめポイント①「主人公がかっこよすぎてやばい」

こんなかっこいい人ほんとにおったんー?て思わされるかっこよさなんすよね
主人公のブラドッグは5人家族(妻と子供3人)で恐慌前は有名なプロボクサーだったんですね。しかもまぁまぁリッチで奥さんも超美人
だけどある日利き腕である右腕を骨折して、ライセンスをはく奪されてしまう
ブラドッグはまだ戦える!と訴えるも、スポンサーからあっさり見捨てられてしまう
大不況に同時に見舞われ、家族を養うために港工場の日雇い労働者まで落ちちゃうんですよね
その日雇い労働でさえ抽選制で、大行列ができているありさま
右腕が完治していないブラドッグは、左腕を駆使して自分より重そうな積荷を必死に運び、日銭を稼ぎます
有名リッチから無名極貧まで成り下がったブラドッグですが、どんな状況になっても家族への思いやりを忘れず、子供にご飯を食べさせるために「今日夢でステーキをいっぱい食べてパパはお腹がいっぱいだからお食べ」って自分のわずかなお肉も子供に与えるんです
絶対に弱音を吐かないし、感情的にもならない
それを見守る奥さんもすごくいい感じなんですよ
そんなある日
長男が近所のお肉屋さんからサラミを盗んで家に持って帰ってくるんですよ
ブラドッグは感情に任せて怒ることもなく、長男に「ついて来い」と言ってお店まで返しにいくんです
帰り道
ブラドッグ「どうしてこんなことをしたんだ」
長男「友達が親から引き離されてどこかへ行っちゃったんだ、食べていけないって。だから僕らもきっとそうなるって思って・・・」
ブラドッグ「だからといって人様の物を盗んでいいわけはない。盗みは犯罪なんだ。今はみんな大変な時期なんだ。だけどきっと良くなる。二度と盗まないと誓うんだ。」
長男「~静かにうなずく~」
ブラドッグ「よし、じゃあパふパも誓う。どんな状況でも絶対にお前たちを離さない」
長男「~号泣して抱き着く~」
ブラドッグ「~抱きしめながら~大丈夫だ、怖かったんだな」

このシーン好きなんですよね~~
そう、、本当は誰も悪くないんですよね
時代が突然襲い掛かってきて人々を苦しめ子供の純粋無垢な心まで蝕んでいく、
でもその心を海のような大きいな父親の愛が包み込む瞬間なんです
とにかくブラドッグは、人間として、父親として完璧に近い理想像なんですよ、んでこんな人が実在したってのがさらに驚きです
おすすめポイント②「主人公がかっこよすぎてやばい」

プラドッグが必死に働くも、やはり日銭では限界が訪れ、ある日家の電気もガスも止められてしまうことに
それだけではなく、子供のうちの1人が咳と発熱に苦められるんですよね(季節は冬で暖房もない)
ブラドッグが日雇い労働に行ってるとき、奥さんはその状況に精神的限界を迎えます
空腹・極寒・子供の衰弱、、、、
奥さんは子供には見えないところで声を殺して泣きながら
「神様・・・・」
と一人呟くのでした
ブラドッグがその夜帰宅すると
家には妻がぽつんと力なくそこに立っています
ブラドッグ「子供たちはどうした??」
妻「もう限界だったのよ。〇〇(子供の名前)が熱を出して、もうここにいたら死んでしまうわ。私の姉の家に預けたの。」
ブラドッグ「なぜだ!なぜ俺に相談しない!!必死に働いてる意味がないだろう!」
妻「あなたはいなかった。あなたは見てなかったのよ。もう限界だったの!!!」
ブラドッグ「子供と約束したんだ!!絶対に何があっても離さないと!!これじゃ貧乏に負けたことになる!家族は一緒にいなきゃだめなんだ!!」
(出て行くブラドッグ)
妻「どこに行くの!!!まって!」
ブラドッグが向かった先は、ニューヨーク市マンハッタンにあるマジソン・スクエア・ガーデンでした。そこはかつてブラドッグがボクサーとして活躍していた古巣だったのです
そこにはかつてのスポンサーやチームメイト、富豪たちがタバコを吸いながら商談をしており、大不況の最中で市民がバタバタと飢え死にしている最中であっても、富豪たちは酒を片手に世間話をしているという風刺が描かれています
ブラドッグからすると、その富豪達は自分からプロライセンスをはく奪した張本人であり、できれば二度と顔を合わせたくない人種です
ブラドッグはその悪巣の中に入り、帽子を持って頭を下げます
「・・・・金がなく、家族と暮らすことができません、
・・・・どうか、どうか助けてくださいませんか・・」
そうすると、富豪たちは1ドル、2ドルとお金をブラドッグの帽子に入れていくのです(少額だがこの時代はそこそこの価値)
そうして集まったお金を手にして帰り、電気代やガス代を支払い、なんとか家族でまた暮らすことができるようになりました
そのときの描写では、衰弱していた子供も元気な姿に戻っていました
一時は栄光を極めたプロボクサーが、かつての仕事仲間、因縁の相手に物乞いまでする
しかしそれは家族と暮らすためであり、ブラドッグが最も大切にしていたもの
最も大切なもののためであれば、自分のプライドなど捨てる
この姿にも俺は惚れましたね
おすすめポイント③「主人公がかっこよすぎてやばい」

さて、最悪の事態は回避できたものの、まだ根本的には何も変わっていません
金はいずれまた底をつきます
そのときでした
プロボクサー時代のセコンド(兼 友人)のジョーがブラドッグ宅へ突然やってきます
なんと、「1試合だけリングに立たないか?」とブラドッグに持ち掛けるのです
その理由は、対戦相手をする予定だったボクサーが突然出場できなくなり、また、相手が世界ランカーの大物であることから、すぐに代用をたてるのが難しとの理由でした
ブラドッグが報酬を聞くと、250ドル(この時代でこの状況下ではかなりの価値)とのことで、ブラドッグは参戦すると即答します
この報酬は買っても負けてももらえるファイトマネーです
年齢もそこそこでブランクのあるブラドッグは、もはや相手に勝つことなど微塵も考えておらず、ただ家族を養うためだけにリングにたつことを決めます
そして友人のジョーを抱きしめ、ありがとう!と感謝しました
そして試合当日
過去の栄光であるブラドッグに賭ける人はおらず、実況でも「2ラウンドか3ラウンドもてば上場でしょう」といった大変ブラドッグには屈辱的な状況で試合会場は包まれています
ブラドッグはそんなことは気にもとめず、控室で友人に
「こんな夜を俺にくれてありがとう」と感謝します
有人のジョーでさえ、ブラドッグが勝つことは考えておらず、「思いっきり楽しめ」
と笑顔で戯れます
そして試合開始
若く強靭な世界ランカーである相手と中年日雇いボクサーのブルドッグの試合が始まりました
互いに間合いをとりにらみ合いながら、パンチを繰り出します
そのとき、セコンド兼友人のジョーがある異変に気付きます
ん??
ブラドッグの左ジャブが過去のジャブより進化し、強化されているではありませんか
練習する時間なんてなかったはず・・・・
体力的にも日雇い労働だけでいっぱいいっぱいでした
そうなんです
その日雇い労働で、大量の積荷を船に運ぶ際、右手が怪我で使用できなかったため
左手で右手をカバーしている間に
左手が強化されていたのです

相手は状況が理解できません
「なぜだ、こんなオイボレがこれほど素早くステップを踏み、協力な攻撃ができるんだ・・!!!」
そしてなんと、ブラドッグの強烈なストレートが相手にヒットし、仕留めます
KO勝ちです 笑
試合会場は静まり返ります
そして間もなく、ブラドッグを称賛する大歓声で包まれることになりました
勝ったブラドッグでさえ、状況を理解できていません
本人でさえ勝つことはあり得ないと思っていたからです
勝っても負けても一夜限りのリベンジ
ブラドッグは最高の夜を迎えることができました
そしてファイトマネーを家に持ち帰り、久しぶりに買ったお肉を家族とともに楽しみます
この試合は勝っても負けてもそれっきり、次はないことは本人も承諾済みでした
しかし、その伝説的快挙から数日後、友人のジョーが自宅にやってきて
「プロライセンスが復活した、またプロボクサーとしておれとタッグを組んでくれないか」と提案してきます
ジョーは本気でブラドッグが復帰できることを信じていました
しかし、スポンサーにはある魂胆がありました
ブラドッグがこのまま勝ち続けられるわけはない、ただ、一度挫折した中年ボクサーがまた復帰することは興行として、ビジネスとしてはいい材料になる
ブラドッグは迷いました
今はお金にも余裕ができてきて、普通まではいかないが家族と平穏な生活ができている
またリングに立って怪我をするリスク、、、、命を失うリスク、、、
しかしブラドッグは覚悟を決めます
もう一度ボクサーとしてリングに立つことを
そして本格的にトレーニングを開始したブラドッグとジョーのタッグは、大衆の予想を見事に裏切り第2戦、第3戦と勝ち進み、世論が騒ぎ出します
「ニュージャージーの英雄」
「貧困層の英雄」
新聞の見出しも踊りだします
そう、大恐慌という未曽有の大不況に、挫折を味わった中年男が貧困層から復活しリングで戦う姿は、荒廃と化した人々の心を奮い立たせました
まさにそれは、人々が待ち続けていた英雄の姿そのものだったのです
そしてなんと、ついに世界チャンピオンである「マックス・ベア」と戦う権利を手に入れたのです
おすすめポイント③「主人公がかっこよすぎてやばい」

すべての予想を裏切り勝ち進んだブラドッグ
ついに、現世界チャンピオンであるマックス・ベアと戦う権利を手に入れます
このベアですが、映画では非常に傲慢で危険な人物に描かれています(実際どこまでそうだったかは不明だが、危険人物であったのは確かなもよう)

このベアは、試合とはいえ、実際に2人のボクサーを死に至らしめています
スポンサーはこの2人を戦わせること事態が危険であり、世論を敵にしかねないと考えます ブラドッグが死ねば、世論から叩かれることは必至だからです
そのため、事前に本人から承諾をとったことを証明するため、ブラドッグを呼び出し、ベアが相手を死に至らしめた試合の映像を見せます
このとき、弁護士も立ち会わせてその事実を残すまでしていますから、本当に危険な試合だと考えていたんでしょうね、あと本当に自分たちの利益を守ることしか考えてないことがわかりますね
ブラドッグは言います
「これを見せて何が言いたいんですか?この試合は危険だと??」
スポンサー
「そのとおりだ、今ならまだ棄権してもいいぞ。私たちは世論を敵にしたくないんだ」
ブラドッグ
「日雇いでの船の積荷は危険ではないと?毎日食べるものがなく飢え死にしている人も大勢いる。ボクシングで戦うことぐらい、簡単なことです。」
スポンサーは黙ります
本当の地獄を知っている人間、知らない人間
まさにその対立描写が見事に描かれている1シーンでした
ブラドッグ、いちいちかっこいい
しかし、確かにこの相手が危険であることはブラドッグもわかっていました
でも勝てばブラドッグは世界チャンピオンになることができます
ブラドッグは帰って妻に報告しました
妻は言います
「現役のときも、私はあなたが怪我をしてボクシングができないようになってと、神様に祈っていたのよ 生きていてほしいから だから怪我をしてボクシングができなくなったとき、神様に感謝したわ
ここにも、今のまともな生活よりも、夫の身体を一番に考える妻の愛が描かれています
しかしブラドッグは言うんですね
「本当に今の時代は酷い・・・
一体みんな何と戦えばいいかさえわからないんだ・・・。
でも俺には・・
少なくともリングの上でなら戦う相手が誰かわかるんだ。頼む、戦わせてくれ。」
個人的にこの映画で一番好きなセリフ
かっこよすぎる
そして最終試合の日がやってきます
妻は教会で祈ります
ここまでくればお察しかと思いますが、、
ブラドッグが死闘の果て、マックスベアに勝利します
1935年6月13日 ブラドッグは世界チャンピオンとなったのです
ブラドッグは、家族の、ニュージャージーの、貧困の、すべての英雄へと返り咲いたのです
ではまとめです
この映画からHOLSが学んだこと
①環境のせいにしない

主人公はどんな状況においても、誰かや環境のせいにはしませんでした。どれだけ悲惨な状況でも、「今できることをする」それが大事だと教えてくれます
人は弱い生き物であるため、何かトラブルが起これば人や環境のせいにしたくなります
そのほうが楽ですからね
わかっていても、なかなかできることではありません
この主人公の大きな魅力の一つだと思います
②無駄なことなどない

主人公は仕事道具でもある右腕を負傷し、それが引退の引き金となりました
しかし、それでも左腕を駆使し、日雇い労働に努めました
その結果、偶然にも左腕が強化され、運命のように復帰戦の話が転がり込みます
偶然などない、運命は常に必然的なものである
ということを教えてくれました
一見無駄だと、蛇足だと思ってしまう努力も、続けることでその努力がいつの日か報われる
俺は神様というざっくりとした存在はまだ信じていませんが「努力をしている人間、何かと戦っている人間には必ず何かの運命が訪れる」という真理を信じたいと思ってます
③謙虚に信念を貫け

波乱万丈の主人公ですが、一貫していることがわかります
それは謙虚さです
どんなサクセスストーリーを歩もうとも、成し遂げようとも、主人公が傲慢になっている描写はありません
家族のためならば、誰にでも頭を下げることもできる、ちっぽけなプライドを持ちあわせていないんですよね
これだけの偉業を成し遂げても、主人公は余生を家族と平穏に過ごしていたそうです(史実)
成功するためには野心が大切 だとおれも思います
しかし、野心だけでは人間的な成長はありえない、そう思いました
努力をして、一定の結果がでる
そうするとどうしても人は「どうだみたか!」と言いたくなる
いや言ってもいいんですけどね笑
ただ、その根底には、何に対してでもいいのですが
「ありがとう」
「助けられた」
といった謙虚な気持ちがなければならない
その気持ちがまた人を成長させる
そう思わされましたね
④現代に通じること

映画をみるときは基本的には娯楽思考ですが、なるべく「今の時代・今の自分」に通ずる点がないか考えながら観るようにしています
シンデレラマンは、一見すると名前どおりある中年男のシンデレラストーリーを描いている作品にも思えますが、ただそれだけの話ではありません
俺が最も心打たれたシーン
それは前述しましたが、主人公の
「本当に今の時代は酷い・・・
一体みんな何と戦えばいいかさえわからないんだ・・・。
でも俺には・・
少なくともリングの上でなら戦う相手が誰かわかるんだ。」
というセリフです
これ、規模の大小はあれ、生きていて皆が一度は感じる感覚だと思うんです
現代だってそうです
この平和な現代、多種多様なものごとが複雑に絡み合い、俺たちは一体何を目的に、何を軸にして生きていけばいいのか
何と戦えばいいのか
コロナもそうです
突然やってきたウィルスが人々を翻弄し、色々な有識者や政治家が様々な対策や生き方を推奨しますが、それをどう受け入れればいいのか
戦うとはどういうことなのか
きっとブラドッグは、戦って勝つことよりも、戦うこと自体に意味を見出そうとしていたと思うんですよね(個人的意見ですが)
正直、俺にもまだ今自分が何と戦い、これから何と戦っていけばいいのかわかっていません
でも、とにかく考えること、そして行動すること
それが大事だと本能的に感じています
みなさんはどうですか??
まだ見つかっていない人、この映画を参考にしてもらえれば幸いです
おわり
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